
最近しみじみと自分の人生を振り返って思うのは、よき先生にお会いして、大勢の方とご縁をいただいてこの道を歩んできたということである。
コメリは米屋から始まりLPガスを販売し、その後石油ショックを機にホームセンター業界に参入した。商業界の倉本長治先生と出会い、商いは金儲けのためではなく世の中の役に立つ聖職であるという先生の言葉に衝撃を受け、それから仕事に身を入れるようになった。箱根の商業界セミナーに参加するようになり、そこでは川ア進一先生や渥美俊一先生が熱弁をふるっておられた。大勢の先輩方が日本の商業の近代化を目指して学び、挑戦しておられる姿に強い影響を受けてきたのである。
そのなかから渥美先生は、近代化された欧米の小売業を日本に導入する研究団体としてペガサスクラブを創立された。先生は経済民主主義の実現を唱えられ、新しい日本をつくるため商業の変革に打ち込まれた。その志のもとに大勢の経営者が集まった。
コメリもペガサスクラブに入会して四十年がたった。ホームセンターに参入を決意し、チェーンストア経営を目指してきた。大店法が施行され、金物・工具、園芸を中心に小型店のハード&グリーン業態を開発した時、渥美先生は「こんなに小さな店で、回転の悪い金物とロスの多い園芸を扱ってもうまくいくはずがない。ハード&グリーンをつくるなら、指導はできない」と強く反対された。厳しい先生が怖かったが、郷里の三条は日本一の金物の産地。それに農業県である新潟の園芸を核商品に扱えば、必ず成功すると信じて店をつくり続けた。
そして、ホームセンターに参入当時から大変お世話になったのが、日本ホームセンター研究所の会田玲二先生である。アメリカでの現地視察に七、八回ご一緒させていただき、先生の運転でアメリカの原野を移動してDIY店を回った。先生は日本にホームセンターを普及させるため、立地の選定や経営指導に尽力され、先生のアドバイスによってホームセンター業界は発展してきた。コメリの一号店の立地も先生から見ていただいたもので、長い間大型店は立地のご指導をいただいていた。
振り返って、大勢の方との出会いがあり、ここまで成長させていただいている。
七月二十三日にコメリは一千店舗を達成しチェーンストアとしてようやく一人前になるとご報告申し上げた時、渥美先生も会田先生も大変喜んでくださった。ところが、会田先生は、六月二十五日にお亡くなりになり、それから一カ月もたたない一千店舗達成の二日前、悲しいことに七月二十一日に渥美先生がお亡くなりになったのである。
コメリを導いてくださった先生が、この短期間にお二人も逝ってしまわれた。日本の商業が転換期にある今、ご指導いただきたいと思っていたのに残念でならない。
日本のホームセンターのモデルをつくり上げることをお誓い申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。