かざみどり巻頭文

商業界北信越ゼミナール

  商業界の北信越ゼミナールが新潟市で開かれることになり、講師の依頼を受けた。 商業界の本ゼミは、昭和26年2月にスタートし、今年で80回を迎えている。その全国の商人の勉強会を、地方の中小の商人にも共に学んでもらおうと始まったのが地方ゼミナールで、新潟大会の開催は20数年振りとの説明であった。
  商業界は、創始者の倉本長治主幹をはじめ新保民八先生、岡田徹先生が「店はお客様のためにある」というスローガンを掲げられ、それに共感した人々が精神的にも技術的にも向上を目指して学び合い、仲間をつくり合ってきた会である。
  倉本先生との出会いがなかったら今のコメリはない。お世話になった商業界に、少しでもお役に立つことができればとお引き受け申し上げた。
  セミナーの当日、会場の朱鷺メッセには300人近い方々が集まっておられた。
  倉本初夫主幹の開講講演に続いて、演壇に立った。
  もともとは農家で捧利右衛門という屋号だったが、先祖が米相場に手を出して田地を手放し小作農になり、父は大変苦労して 働いていたことをお話し申し上げる。
  同級生が普通高校に進学するなか、私は父から「農業に勉学は必要ない」と進学を反対され、中学校の恩師の説得でようやく 定時制高校へ入学することができた。
  農繁期は田んぼに入り、冬の農閑期に通学するという生活のなかで、生まれた家が違うとこうも生活が違うものかと世の中へ の憤りを感じていた。
  そのようななか、父と母が米屋を開業した。しかし私は、商いは金儲けのための職業に思えて、好きになれなかった。
  当時の社会運動、うたごえ運動に参加するようになり、新潟大学の学生や国鉄の労働組合員とともにロシア民謡を歌っていた。ある日、本屋で目にした雑誌『商業界』に、倉本長治先生が「お客様は一生懸命に働いて得たお金を持って来店される。そのお客様のために、まごころをもって、より良い品をより安く、親切にお売りする商いは聖職である」と説いておられた。それまで商いは金儲けのための仕事で、男の一生を捧げることなどできないと思っていたが、倉本先生の教えに深く感動した。
  先生の教えは、世の中を直したいと思っていた私の考えと通ずるものがあった。それから箱根の商業界ゼミナールに通うようになり、商いに身を入れるようになった。
  昭和50年のアメリカ視察でホームセンターに出合い、チェーンストアを目指してホームセンターを開店した。小型の専門店ハード&グリーンを開発し、店数は46都道府県に一千店舗を超えるまでになった。
  企業はお客様の支持をいただいて生かされ、成長できる。コメリは、住まいに関する分野でお客様のお役に立とうと事業を行ってきた。これからも、住まいを美しく暮らしを便利にしてくれる専門店として、お客様に喜ばれる仕事をしていきたい。