
家光誕生の間、春日の局化粧の間から本堂に入る鴬張りの廊下。両側は見事な庭園である。

埼玉、川越の取材は雨となった。
六月半ばといえばもう梅雨である。新幹線を高崎で降り、迎えの車で店を見ながら川越に出る。
ここは、江戸時代には江戸城の北西の守りとして重要なところであった。新河岸川の河港をかねて発展した城下町である。舟運で江戸と直結しており、小江戸と呼ばれるほどの繁栄ぶりだった。
ここには徳川家にゆかりのある喜多院があり、別名川越大師として親しまれている。重要文化財に指定されている山門は総ケヤキ造りの四脚門で切妻造り、本瓦葺の見事な建物である。そこを入って右側には五百羅漢がある。大樹に囲まれ、雨に濡れ寂しそうな顔であった。
本堂はゆるい勾配の大きな屋根に5色の幕が下がり、静かに建つ。二重の塔の多宝塔が美しい。社務所から院内を拝観させてもらう。
江戸から移設したといわれている家光誕生の間や春日の局化粧の間がある。つつじがきれいに刈り込まれ、今を盛りと緑の庭に映えていた。
本堂に向かう。渡り廊下は鴬張りで、両脇の美しい庭を眺めながら堂内に入った。
中央に御本尊の阿弥陀如来、脇仏に不動明王、毘沙門天がお奉りしてある。荘厳な仏に手を合わせた。

蔵の街に古い商家。単調ななかに江戸の風情が残る。街道沿いには16メートルの鐘楼。菓子屋横丁もあり、懐かしい。
そこを出て仲町に入る。ここは蔵の街並みといわれ、両側に土蔵づくりの店が並ぶ。類焼を防ぐために蔵づくりにされたもので、江戸の町屋形式として発達したものだと聞く。
重厚な白い壁、大きな鬼瓦をのせた土蔵、江戸時代の繁栄を彷彿させる。徳川幕府から庇護を受けたところで、これが残ったのだろう。小江戸と呼ばれるほどの繁栄ぶりはうなずける。
銀行の洋風の白い塔が街並みに建っている。明治時代のものだろう。その調和もまたいい。街を歩くと気品のある町屋づくりの瓦葺の大きな店。雨の中を傘を差して歩く風情もいいものだ。
そこを行くと、蔵づくりの商家が建ち並び、街道沿いに檜づくりの鐘楼が建つ。16メートルもの高さは家並みを圧する。今でも1日4回、鐘が鳴るという。
この川越の街は、「鉤の手」「丁字路」「袋小路」「七曲」など城下町の名残を留める路地が随所にある。その一つに菓子屋横丁があった。
3、40数軒はあるのだろうか。細い小路に菓子の製造所や卸屋が入り混じる。駄菓子を売る店、焼き団子、カルメ焼、せんべい、飴、芋大福などたくさんの店がある。子供たちが楽しそうに店を回っていた。
串団子を売っている店がある。
勧められるまま中に入った。ここは「いも茶屋」という名で、布袋尊に縁があるとか。
そこから名をとったのだそうだ。珍しい菓子を見ながら奥に入る。古い机の周りに木箱の椅子。別の大きな机には子供を連れた2人の若いお母さん。子供に食べさせているのは飴だろうか。狭山市から来たと楽しそうだ。
子供のころの茶店を思い出しながら熱いお茶に串の団子を食べた。
名残を惜しみながらコメリの店に向かう。
店は町の新開地、高層マンションの建つ要所にある。狭い敷地に工夫してつくった駐車場、そこには大勢のお客さんがいる。店長は、「近くにいい店ができたとよろこばれていますよ」と嬉しそうだ。
いい旅であった。
文・写真 : 榊 鶏司