
このたび、書壇院名誉顧問の江川蒼竹先生のお別れの会に出席した。先生との親しいご縁は、財団法人美術育成財団雪梁舎を設立したことからである。
雪梁舎を起こしたのは、新潟市の山田の地にショッピングセンターを建設したことに起因する。敷地の中に親鸞聖人の旧跡、越後七不思議の1つ、焼鮒の旧跡がある。800年ほど前、親鸞聖人が越後に流罪になっておられ、ご赦免を受けて帰られる時に山田の信者に説法されたところである。この由緒ある土地を活かすために公園とし、そこに美術館をつくらせていただいた。
平成12年、雪梁舎美術館で「江川蒼竹回顧展〜悠々たる墨人〜」を開催させていただき、来館者も多く素晴らしい展覧会であった。
平成9年、コメリ緑資金の会が中国大連市の「桜公園」に桜の木を一千本植樹した際、江川先生の書による日中友好の碑を建立させていただいた。
また、平成13年には弥彦神社の平成大修営の記念として、江川先生より書いていただいた万葉の歌の碑をコメリ緑資金の会が建立した。さらに、平成17年には三条八幡宮の厳島神社の御神名と東門の鳥居の額をお書きいただいた。
何といっても先生からお書きいただいた歌碑のなかで1番身近にあるのは、雪梁舎の六角堂の前にある碑「親鸞聖人焼鮒旧跡の御詠歌」である。
こひしくは南無阿弥陀仏と称ふべし
われも六字のうちにこそあれ
と刻まれている。
雪梁舎でお茶を飲みながら、江川先生は、
「無心に手を合わせられるということは素晴らしいことですね。今でも無心になろうと努めていますが、なかなかそれができないのです。筆を持つと、つい人に見られるという意識が先に立ってしまう。そこに雑念が入り、それとの闘いです」
と謙虚にお話しされた。
書に対して無限の道を求めておられる先生に感銘を受けた。先生は書道界の最高峰に立たれながら、いつもおおらかに温かく話をされていた。
私は、信者が詠まれた返歌に胸を打たれたと申し上げた。
今よりは恐れず怒らずかなしまず
家業を励み南無阿弥陀仏
人生にはいろいろなことがある。事業をやっていると、大勢の人たちのお世話になりながらつい雑念に振り回される。天地自然のなかで生かされている人生。仏に手を合わせながら、恐れず、怒らず、悲しまず、自分に与えられた仕事に励み続けることができれば、どんなに素晴らしいだろう。
この返歌を詠まれた方を想いながら、そこまで詠める人のすごさを思うのである。
この碑の前に立つと、ありし日の江川先生のことが浮かんでくる。ご冥福をお祈り申し上げたい。
雪梁舎の碑は大切な仏の教えでもある。